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創業物語
「地域の方々の、ご家族の夢をかなえるため!」
「家族の絆を深めるために!」

こんにちは、さくらグループ2代目、
現「株式会社さくら」代表吉村健二と申します。

父がここ交野で商売を初めて37年。まだ私が生まれる前のことでした。

今でも当時お世話になったお客様からは「健ちゃん」と呼ばれております弊社が本格的にまた、リフォーム業をさせて頂いてから10数年の年月が経ちました。

嬉しいことに少しずつですが
「応援するよ」
代表吉村健二

「さくらさん抜きではうちは生活できないよ」とまで言われる存在となり、責任あるありがたい立場になってきたのだと、日々感謝しております。
ありがとうございます。

さて今回は、私どもが地域の中でリフォーム業に対してどのような姿勢で取り組んでいるか。
私の人生感をまじえつつお話させていただければと思いました。

そして読み終えたときに、これまでより少しでも地元で活動する私たちのことを身近に感じていただけたら幸いだと思います。
何かをお探しでここに到着したのも「人の縁」。
更にお会いすることができればスタッフ皆喜びで一杯でございます。
それでは、しばしの間お付き合いください。

【第一章 商売人の子に生まれ】

昭和51年2月吉村健二誕生。

私は交野で生まれました。

この時すでに父は独立し、当時6坪ほどの店舗で地元商店街の家電販売店を営み、「寒波吹き込む風をよけるシャッターすら当時のお店にはなかった」と、今でも母は語ります。

生まれてすぐ、面倒をみていたのはもちろん母でした。

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店にて販売を行い、経理の仕事を行いながら、私に乳を飲ませていたようです。

お店の中で育った私の周りには、いつも多くの従業員スタッフ(お兄ちゃん)達がいました。

人なつっこい性格も当時の環境のお陰かもしれません。

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中学生になると仕事を手伝うこと増えました。
一緒にテレビを運んだり、冷蔵庫を運んだりと。
初めての経験でとても楽しかった記憶があるのですが衝撃的なこともありました。

それまで優しかった父が、仕事では別人のように怖かったことです。

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高校生になると、長男という立場と、周りからの「将来はお父さんの跡を継いで・・・」
そんな声を度々耳にするようになり、自分の将来を少し考え始めるようになりました。
しかし父から「跡を継ぐか?」という言葉は一言も聞いたことはありませんでした。

そうして時は過ぎ、大学時代を経て、私はついに社会というステージへ向かうために、就職活動という時期に入ることになりました。

【第二章 仕事というものを考えた20代】

大学3年生21歳の春、就職活動にて

「家族が集まれる街開発をしたい!」

面接官に希望を語り、東京の某大手不動産会社に勤めました。
この時は一抹の不安もなくただ大きな期待だけを胸に抱いて、大阪を飛び立った記憶がございます。

しかしこのときも両親は、したいことに専念して飛び出してしまった若造に、一言も家業のことを持ちかけることはありませんでした。

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今思うと、すばらしい両親の元に育てられたと感謝しております。

初任業務は住宅ではなくオフィス(事務所)の資産運営担当でした。
当時は不況のまっただ中、会社は物件清算や、譲渡売却、リスク分散の証券化、そしてバブルの後処理、オーナー様への交渉ばかりで、正直いい話はあまりありませんでした。

多くの先輩からは、
「また、いい時代がやって来るやろうけど、いまは最悪だな」
と言い聞かされていましたが、直感的に私にはそう思えませんでした。
「いい時代って来るんだろうか・・・今までが本当にいい時代?」
何となく、日本の経済に疑問を持ち始めた第一歩でありました。

時が過ぎ、後輩も入り、私も立場上若手第一線までになりました。
この頃から私の付き合いの中で、異業種の人々との交流会が行われることが頻繁になりました。

当時流行となっていた、婚礼や、ホテル、飲食含めてのサービス業の人々との出会い。
それは私との、生きることや仕事への情熱の違いを見事に露呈させてくれました。

「お客様のために何ができるか」
いつも彼からは、そんなことをひたすら考えて働いていました。
「今の私がやっていること、『まちづくり』は、お客様の顔が見えているのだろうか」

東京で精一杯働く、仲間たちのサービスは一流でした。
そして、彼らが勤める会社も、不況に関わらず世間に認められた会社でした。
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【第三章 葛藤と悩み】

不況の中、前線で活躍する彼らとの出会いは、私の中に大きな煩悶を起こさせ、心に残り続けました。
しかし決断を急いではいけない。
目の前の仕事をとにかくひたすらに。
そこに見えるものがかならずあるはず。

そう自分に言い聞かせ、働き続けた結果、気がつくと、結婚を前提にしていた、目の前の女性が私の前から去っていきまいた。
遠距離恋愛を甘く見過ぎていたのかもしれません。
生活・ライフワークが安定し、東京にて結婚し、住居を構え、生涯生活してもいいと思っていた矢先でしたので、がけから突き落とされる思いでした。

自分が何を大切にするのか。
どこで生活をして、誰と過ごすのか、
そして何を生計として生きていくのか。
そんな葛藤と悩みが始まったのが2001年、年明けのことでした。

【第四章 決断の契り】

その後、東京にていろんな方々と出会い、将来を語り合い、様々な「夢を提供する商売」を見ることによって、自分のイメージが少しずつ形づいてきました。
次第に大きくなる「地域密着商売」の存在。
スタッフと共に夢を共有する生き方、本当の「会社経営」とは・・・。

今まで身近にありすぎて忘れていた、「人の縁」「故郷・交野」といった、キーワードが私の心の中で確固たるものになっていきました。
そして、背中を見続けてきた「両親の生き様」が急に大きくなり始めました。

決断の時でした。
その年の年末、世話になった10歳以上の先輩方一人一人に将来の想いを語り、退職の意向を伝えました。
中には「俺が社長になるから、ついてきてもらいたかった」とまで言って下さる先輩もいましたが、やはり私の想い気持ちのほうが熱く、諸先輩方々からは、皆応援メッセージを頂くこととなりました。

最も世話になった先輩との最期の酒の席にて、杯を交わしました。
「俺は東京でここを最高の会社にする!
吉村は、関西で中途半端な会社をつくるなよ!そうじゃないと認めないぞ」
気がつくと男二人泣き語り、契り(ちぎり)を交わしておりました。
それは、大阪へ帰省する前日の約束でした。

【第五章 人をもっと感じるために】

退職後、私は実家に戻るまでの計画を立てました。
まず、以前から夢であった「一人旅」に出かけました。期間は1年間でした。
反対もあり、悩みもありましたが、「今できることをする!」「いろんな民族、宗教、土地をもった人々に出会いたい!」そんな強い気持ち胸に。
以前大阪から東京へ飛び出した時のように、今度は日本から世界へ飛び出しました。

旅では10kgのリュックを毎日背負い、100万円の資金を持ち、連絡が一切取れない、アジア、アフリカ、中近東、ヨーロッパと陸路で歩き回りました。

旅先で、留置所に入れられたり、野宿したり、強盗に襲われたり、帰ろうと思った時は幾度もありましたが、無事1年後帰国しました。
今更ながら、よく生きて帰ってこれたと思います。

旅先から持ち帰ってきたものは、
この地球の中で生きていく上でとても大切なこと。
「人間を知る」ということ。
そして経営の中にも生かせる、
「今の時代を生き抜くこと」でした。

さて、社会人になってから7年の月日、私は大きく遠回りしてきましたが、東京という大都会で情熱を学び、世界各国で多くの価値観と肌でふれ合い、私は故郷「交野」に戻ってまいりました。

*当時の作成したホームページがあります。
(URL:http://www7a.biglobe.ne.jp/~eye/

また縁あり、大手出版会社から、自伝の書籍も出させて頂きました。

自伝書籍Eye
【第六章 リフォーム屋という仕事巡り会えて】

帰国後は電気屋の家業に就きました。
初日、父親に連れて行かれたお客様のお宅でのこと。
このことは今でも覚えております。

「○○さ〜ん、いてる?!」
玄関先でインターホンも押さず、もちろんアポもなしでした。
「あー吉村さん、まーあがってあがって!」
「○○さん、うちの息子帰ってきてん」
「あー、東京にいて、世界旅行にでかけた、言うてはった息子さん?」
「おかえり、まーお茶飲んでいきよ。」
それから数時間世間話をさせて頂いただけで、帰社しました。

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この時の出来事は私にとってたいへん新鮮で、旅に出てどの国を訪れた時よりもカルチャーショックでした。

何故父は約束もなしで、他人のお宅に上がれるのか?
何故インターホンも押さず、玄関のドアを開けられるのか?
そしてお客様は、あったことのない私のことを何故知っているのか?

疑問が溢れる状態になりましたが、帰社してからすぐに私の中で答えが見つかりました。
「これが、『地域密着商売』か・・・面白いかも・・・」
交野に戻り、この地で大きな旗をあげようと改めて決意しました。

それから半年、「おうち丸ごとご相談」を掲げ、新たに『建築業』を専業として地域に提供していきたいと志した私は、事業部設立期間を経て、4年目の春に別法人、株式会社さくら[旧セイビリフォーム]を設立いたしました。

この仕事に就いてからは寝る時間を削り、サラリーマン時代の倍以上の時間を働きました。
現場では大工さんに叱られ、何度も教えを請いました。
目の前にある現場は10万円のトイレリフォーム工事。
東京にいるとき何億の工事の注文をしていたのに、当時味わえなかったリアリティーがなぜかそこにはありました。

設計を失敗して職人さんに直してもらうのに、何度も頭を下げお願いし、現場の基本を学びました。

また営業を終えてからは、少人数でも未来の会社の体制を作るために、業務の効率化、職場の安全性向上や職場環境の美化のために、5S(整理、整頓、清潔、清掃、躾)を徹底し、深夜まで片付けを一人で行っておりました。

大学の専攻が建築でない私は弱みをカバーするために、信頼できる職人さんや専門のプロを集める努力をしました。

腕利きの大工さん、左官屋さん、塗装屋さん。そして、現場を仕切る現場監督、設計士、建築士、コーディネーター。
今日のメンバーをそろえるまで、100人以上の面接を行い、良いスタッフにも恵まれ「変化に対応できるスタッフ」を集めることができました。

腕利きの職人さんたち

休日は、スタッフに給与を安定して支給できるよう、「揺るがない地域密着の経営」を目指し、
読書だけでなく、経営セミナー、会計講習、人事制度構築等を学び、地域一番店になるには、

「売上だけでなく、組織が強くなって、地域に貢献できないと成り立たない」
理屈を教わりました。

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そして3年後、自社の方針理念を確立しました。
私が掲げた理念は次のページでご紹介します。

> 経営理念へ

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